〒594-1112 大阪府和泉市三林町591番地
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春日神社について



 御 祭 神


 鹿島神宮の御祭神で、『古事記』では荒々しい神々を制圧し、国の平定に貢献したとされています。
また、神武東征では、再び混乱した国を平定する為、自身の分身である霊剣 布都御魂(フツノミタマ)を降ろしました。武力・刀剣の神様として崇められています。



 香取神宮の御祭神で、武甕槌命と共に出雲の国に天降り、国の平定に貢献したとされています。
その功績から武運・平和・外交の神様として崇められています。


 藤原(中臣)氏の祖神として崇敬され、天の岩戸開きにおいて祝詞を奏上しました。日本書紀には、「神事を司る宗源者なる故に太占の卜事を以って仕え奉らしむ」とあり宮中の祭祀を司る神様とされました。神事・政治・歌の神様として崇められています。



 天児屋根命の后神。天児屋根命を支え、夫婦円満・平和の神様として崇められています。



◆ 明治期に本殿に合祀された南池田・北池田の各村の神社はこちらになります。




 御 由 緒

 神社の草創期前、古墳時代後期(六・七世紀)に構築された古墳が本殿裏や参道両側に現存しています。これらの古墳群は地元の有力な氏族を祭祀したものと考えられています。その後の奈良時代、神護景雲二年(七六八年)常陸国より武甕槌命・経津主命が大和国の御遷宮のみぎり、近郷の民はこの地に集い頓宮を造営しました。次いで、河内の天児屋根命、比賣大神を祭祀して春日大明神とし、和泉国池田郷の鎮守として崇敬されるに至ります。
 参道脇の古墳官地にして御林(みばやし)、上林(かみばやし)とも称され、固有の神として氏神、産土の神、鎮守の杜 となり広く生活の中に伝承されてきました。江戸時代の享保三年六月十九日、神祇官より正一位の神位を授かり、南池田村、北池田村(七か村)を氏子として守護、その社地四万六百八十坪(境内五千百坪)を所有しています。




 末 社

■穂椋神社(ほくらじんじゃ) 

【御祭神】
 保食神(うけもちのかみ)


大正4年に和田町より合祀 式内社
「うけ」は大和言葉で食べ物を表す語で食料の神様

 

■意賀美神社(おがみじんじゃ) 

【御祭神】
 ?神(おかみのかみ)
 白山比売命(しろやまひめのみこと)

 大正4年に万町より合祀
 ?神は水の神様

 
  

■水屋権現社(みずやごんげんしゃ) 

【御祭神】
 水屋権現(みずやごんげん)

 水の神様

 

■玉福稲荷神社(たまふくいなりじんじゃ) 

【御祭神】
 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
 佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
 大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)

 


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